MacSEに感動させられました。

Mac SE

最初の出会いは、自分が高校生の頃愛読していた
「Log in」(現、週刊アスキー)
での、海外事情紹介ページの小さいコマ記事。
5cm*3cmぐらいの小さな記事でしたが、USですごいPCが発売された!と記事になっていました。
値段は、80万円ぐらいで紹介されていた記憶があります。
自分が高校生の頃、日本のPCは、NECの寡占状態。PC9801,8801,6601と、ビジネスユースから、家庭用まで幅広くシリーズ展開していたNECにかなうメーカーはありませんでした。
とはいっても、NECのPCは、あくまでもDOSベース。
まだWindowsが登場する前ですから、もちろん画面はすべて「CUI」
DOSのコマンドを覚えなければいけないし、config.sysやautoexec.batの書き方を知らないとPCが使えないという時代。まだ普通の人には、とてもハードルの高いPCでした。
日本に住んで日本に生まれ生粋の日本人としては、この「CUI」文化が当たり前だっただけに、「GUI」で画面の処理ができるということに、最初は理解ができませんでした。
また、今でこそ当たり前の”マウス”という道具も、当時はあくまでも”オプション”、もしくは不要。
画面はあくまでもカーソルキーで操作するものでしたから、マウスオペレーションが普通、という、そのUS製のPCは、たった5cm*3cmぐらいの小さな記事でも、自分が与えられた衝撃は非常に大きかった記憶があります。
普通の記事であれば、流し見している程度でしょうから記憶になど残りませんが、この記事のことは、今でもページの構成すら覚えているぐらいですから、相当衝撃的だったのでしょう。
そんなMacSEの本物に出会ったのは、28歳の頃。
会社の整理をしていると、部屋の片隅に、
”チョコン”
と置かれて埃がかぶっている白い筐体を発見。
「なんだこれ?」
と思って、引き出してみると、それは、自分が高校生の頃恋焦がれた、MacSEだったのです。
まさか、会社のこんな片隅で彼に出会うとは想像すらしていなかったので、
”昔片思いだった人に、10年ぶりに会った”
という感じだったのも今も鮮明に覚えています。
さて、このMacSE。
会社の片隅にあったぐらいですから、既に使われていないもの。減価償却も終わっているとのことだったので、上司に許可をもらって、自宅にもらってきました。当時80万を超える金額のものが、”只”で手に入るということも、高校生の頃は考えもしなかったですね。
家に来たMacSE。
CPUは、モトローラの68000。
メモリはー、拡張済みで4メガバイト。日本語OSが載る最低限のスペック。
ハードディスクは記憶が無いのですが、20メガ程度だったと思います。
拡張用にSCSIカードが付いていたので(さすが会社で買っただけあって贅沢仕様)、CD-ROMを使うことができ、色々なソフトを入れることができました。
自宅の机の上。最も目立つ場所においてあげました。
OSが古かったので、漢字Talk7を入れてあげ、日本語環境を整備してあげると、そこそこ使い物になる感じ。
自宅の隅っこに眠っていた古い2400bpsのモデムを引き出して、Mac SEにつけてあげ、Niftyserveの専用PCとしてしばらくの間活躍してもらいました。
さすがにスピードが遅かったので、メインでは使えなかったですけどね。
そんなMacSEは、自分が仕事も忙しくなり、MacSEにかまっていられなくなりしばらく放置していたら、起動しなくなってしまったのです。色も、発売当時のクリーム色から、明らかに真黄色にし、そろそろ自分の末期をしめしているようでした。
引越しを期に、MacSEとはお別れをしましたが、これほどの”感動”を与えてくれたPCは、最初にも最後にもこれ一台です。
MacSEは、自分をコンピュータ業界に引きずりこんだ張本人かもしれません。