今日のブログはちょっと長め。小説を読んで久々に感動をしたので、感動の記録のためにもしっかり今日の出来事として残しておきます。
「セカチュー」
聞けばだれもがわかる映画・ドラマ、「世界の中心で、愛をさけぶ」。
「うわぁ。ミーハー」とか「似合わね・・」という声が聞こえそうですが、すごくすごく好きな映画の一つです。
時間がなくドラマを見ることはできなかったのですが、映画はすでに5回以上繰り返してみています。
日本映画はあまり好きなほうではないのですが、この映画はとても大好き。
「死」というすごく難しいテーマを扱いながら、「愛」というものを同時に真剣に扱っている名作です。個人的には、死をテーマにしたような映画や小説は好きではない(泣かせよう!という原作者の狙いが見え隠れするのと、商業的なものが「死」とつながることに、漠然とした嫌悪感があるので)のですが、なぜかこの映画だけは、素直に受け取れ最後まで何回も(原作者の狙い通り)泣きながら映画を繰り返し見てしまいます。
そんな映画の原作が、初版第一刷が2006年8月1日に発行されています。(一ヶ月ぐらい前から書店では並んでいましたね。)

世界の中心で、愛をさけぶ 小学館文庫
最初は結構ミーハーな映画・小説かとおもっていたのですが、原作を読んで改めてすごく奥が深くたくさんの影響を受けました。やはり、映画が良いのは原作の出来が良いからだと再認識しました。
そんな、小説の中の後半の一説。
白血病の主人公亜紀が亡くなり、悲しみの中の朔太郎に祖父が語った言葉。
「目に見えるもの、形あるものだけがすべてだと考えると、わしらの人生は日に味気ないものになるんじゃないかね。わしが好きだった人が、かつて知っていた姿形のまま、再びわしの前に現れることはないだろう。だが、形を離れて考えれば、わしらはずっといっしょだった。この50年、片時も一緒でなかったときはなかったよ
。」
・・・・・・
「人生には実現することとしないことがある。実現したことも大切に旨のなかで育んでいく。夢とか憧れとか言われているものは、みんなそうしたものだ。人生の美しさというものは、実現しなかったことにたいする思いによって、担われているんじゃないだろうか。”実現しなかったことは、ただむなしく実現しなかったわけではない。美しさとして、本当はすでに実現しているだよ。”」
小説を良く読んでいない人はこの部分だけを見ても[:?:][:?:][:?:]かもしれません。
小説を読んでみた自分としては、自分自身の現実世界の中で、
「今見えるものだけで」
いろいろ考えていたことが、馬鹿らしいと思わせてくれた言葉でした。
目の前にいるとか居ないとか、実現しているとかしていないとか関係なく、自分の心の中にこそ実像がある、ということなのではないでしょうか。
良い表現が見つかりませんが、生きているうえで、無い事や出来ていないことを悔やむのではなく、できていたこと・やってきたことを大事にしていきなさい、実現しなかったことは心の中で育んでいきなさい、ということを学んだ気がしました。
言われてみれば極々当たり前のことかもしれませんが、「目に見えないもの」「形のないもの」に敬意を払えない自分が最近居たので、ドキッとさせられました。
この小説。主人公は、白血病になった亜紀と恋人の朔太郎ですが、脇役の祖父がすごく大事な役割を担っています。個人的には、この祖父が主人公ではないか、とおもうほど映画・小説の中でも大事な役割を果たしています。こんな祖父が傍にいてくれた朔太郎がちょっとうらやましいです。
最初はミーハーな小説を気軽に読んでみようかな、程度の気持ちで小説を手にとって見ましたが、すごく得るものが大きかった一冊でした。
是非一度時間があれば、映画もよいですが、小説をゆっくり読んでみてみてください。本当にお勧めです。
セカチューですか・・。実はまだ見たことがないんですよね。。。今更って気がしますが、時間を作って見てみようかなと思います。間違いなく号泣する予感が・・・
お疲れですか?
いたって”正常”ですよ。もともと、ピュアな人ですから。
是非みてくださいね!>ビジコンさん
号泣。・゚・(ノ∀`)・゚・。